神崎オハルちゃんブログ

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あのラーメンはもう二度と食べれない

 塩ラーメンが好きだ。

 ラーメンは基本的になんでも好きだが、醤油味噌豚骨塩の中から選ぶとすれば私の場合は塩になる。あまり塩をきかせすぎていない魚介だし風味の物が特に好きだ。チャーシューは普通の豚チャーシューではなく鶏チャーシューだとうれしい。塩ラーメンはそんなに具材がゴテゴテしていない方が良い。他の味のラーメンなら具なんてあればあるだけ嬉しいのだが、淡泊さを売りにしてる塩ラーメンだけはその限りではない。チャーシュー、メンマ、青野菜、その他薬味、それらがほんの一握り乗っていればそれで良い。あ、やっぱり味玉くらいはあってもいい。

 私がまだ実家に住んでいたころ、近所においしい塩ラーメンのお店があった。絶妙に濃すぎず薄すぎない、黄金色という表現が相応しい色合いのスープ。自己主張をしすぎない程度に散らされた柚子の香り。豚に比べればあっさりとした味わいながらもその存在感は抜群の鶏チャーシュー。適度な塩味に絶妙にマッチする、基本を押さえた細麺。間違いなく自分がこれまでの人生の中で食べたラーメンで一番美味しかったと断言できる。

 そのラーメン屋はあまり人が通らない所にあった。私が住んでいた住宅街から駅や主要施設へ通じる道からはかなり外れた立地。当時の実家に家族ごと引っ越してきた直後、周辺を散策していた際に偶然このラーメン屋を発見できたのはかなりの幸運だったと言えるだろう。家族で行ってみようという話になり、実際に訪れ、皆がその塩ラーメンを絶賛した。

 だが、そのラーメン屋は1年も経たないうちに閉店してしまった。それなりに固定客が入っているようには見えたものの、お世辞にも人が訪れやすいとは言い難い立地だったので、商売競争に勝てなかったのだろうと私達家族は悲しんだ。

 それからさらに1年ほどした後、私達はそのラーメン屋と同じ名前の店を別の場所に発見した。チェーンではなく個人経営店だったので、どうやら移転した場所で新たに店を始めたらしい。場所は違えど相変わらず人通りの少なそうな場所に店を構えていたのは、ラーメンを作るのは達人でも経営に関しては素人だったのか、他にいい土地が無かったのか、あえてそういう場所を選んでいたのか、理由は定かではない。何にせよ、私達はまたしても運よくその見つけにくい店を見つけることができた。勿論すぐに私はその店に向かい、変わらないその味に舌鼓を打った。そして「やはりこのラーメンが今まで人生で食べた中で一番美味いな」と思った。

 移転後のラーメン屋には一つ変わったことがあった。営業時間だ。前の店では昼から夜にかけた一般的な時間帯に営業していたのだが、新しい店は昼のみの営業になっていた。そして夜になると、そこはラーメン屋からお好み焼き屋に変化していた。どうやらそのラーメン屋は家族で経営しており、昼は老齢の父親がラーメン屋、夜はその息子がお好み焼き屋を経営しているようだった。どういった経緯でそういう経営方針になったのかは不明だが、父親の方は結構な高齢に見えたのでもしかしたら一日中店を開けているのが辛くなったのかもしれない。一度だけ夜に息子のお好み焼き屋に行ってみたことがある。味に関しては特に言う事は無く、値段の割には量が少ないという印象だった。

 そしてさらに約1年。移転後のラーメン屋は看板は残っていたものの、店内には誰もいなくなってしまっていた。夜に行っても特徴の無いお好み焼き屋が開店していることは無かった。明らかに後始末がされていなさすぎたので、もしかしたら夜逃げでもしたのかもしれない。移転後の店を見つける幸運には今度こそ恵まれず、人生で一番と断言できるあのラーメンを食べられる機会は、永遠に失われてしまった。これがもう10年近く前の話である。

 私はラーメンが好きだ。外食の際にはついついラーメンを選んでしまいがちだ。塩を売りにしてる店だとなお良い。競争が激化してる飲食業界の中で、まずいラーメンを出す店なんてものは殆どない。ある程度ちゃんとした店構えの戸を開けば、9割以上の確率で満足できる味のラーメンが出てくる。私はそれを大変幸福な気持ちで完食する。時にはスープも飲み干す。腹がいっぱいになりお冷を飲んで一息いれる。そしてその度によくこんなことを思う。「ああ、おいしかったけれどあのラーメン屋ほどじゃあないな」と。

 仮に今、何の前情報も与えられずあの塩ラーメンを出されたらどうなるだろうと思う時がある。私は普段あまり通らない場所でたまたまラーメン屋を見つける。その店は塩ラーメンを売りにしている。私は気付くことはないが、実はそこの厨房では老齢の店主が昔そのままの腕を振るっている。店の名前や立地こそ違うが、出てきたラーメンはあの時そのままの、黄金色のスープの塩ラーメンだ。私はそれをおいしいと思って食べる。スープも飲み干すだろう。

 そして思うのだ。「ああ、おいしかったけれどあのラーメン屋ほどじゃあないな」と。

 私はごちそうさまを言ってその店を出る。普段あまり通らないその場所のラーメン屋に行くことは二度とない。そこは夜お好み焼き屋になる。

 私は二度と、人生で一番おいしいと思ったラーメンを食べることはない。